はじめの一歩を踏み出すときの期待と恐怖
何か新しいことを始めたいときや、自分や状況を変えたいと思うとき、そのことを考えるとワクワクした気持ちになりますよね。
あんなこともやりたい、こんなことも試してみたい!
これから自分はどんな風に変化していくのだろう!
ネットで情報を集めては、いつもは見せない集中力でそれらを読みふけったり。
あれこれ想像しては、ボンヤリと空想の世界に浸ってみたりします。
想像の世界の自分は、とてもアクティブで、セルフコントロールができているし、社交的で、勤勉。
おまけに、いつも元気で、エネルギーに満ち溢れている。
だからこそ、
「今こそはじめの一歩を踏み出して、新しいことへ挑戦するしかない!」
と思ったりします。
それなのに、、
空想の世界ではあんなに上手くいっていたことも、いざ実行に移そうとすると、足がすくんで動けない。
不安だらけで、自信がなくて、付きまとう恐怖に負けてしまいそう。
具体的に何をやったらいいのかわからない。。
挑戦したって「どうせ無理だし・・・」と感じてしまう。
そしてその後には
「私は、なんて馬鹿なことを考えていたんだろう・・・非現実的だよね・・・」
と反省しては、生暖かくてボンヤリした、馴染みのある現実へと戻っていきます。
心のイメージの中にあった生き生きとした表情を消し去り、無表情な仮面をつけたなら、またいつもの場所へ帰っていくのです。
非現実的な空想をしてしまった自分を「大人気ない・・・」と後悔したりしながら。
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自己評価=正しい評価とは限らない
空想を現実化して「行動」に移そうとするとき、そのギャップに愕然とすることってありますよね。
直面する現実的な問題をどうクリアしていけばいいのかわからなくなることも、よくあります。
ですが、一歩前進できるかどうかと、実際に能力があるかどうかは関係がない、ということをあなたはご存知ですか?
一歩踏み出すための原動力は、自分に能力(魅力)があるとどれだけ信じているか、で決まるのです。
ほとんどの人は、自分自身の能力を、正しく評価していると信じています。
つまり、
「自分に能力があるかどうかは、私が一番よくわかってる!」というわけです。
これには、無能であるにもかかわらず過大評価しすぎるというケースも含まれます。
割合としては(とくに日本では)、過去の経験から自分を過小評価することのほうが多いでしょう。
そのため、どんなに周囲の人が「あなたには素晴らしい才能がある」と言ったとしても、自分を信じていない人の心には届きません。
「私にも能力(魅力)があるのかも・・・」とうっすら感じていたとしても、その気持ちの裏側に不安や疑いがあるならば、賛辞すら無視してしまうでしょう。
自己評価 = 正しい評価 ではありません。
「評価」は「事実」とは限りません。
ですが、そう信じているならば、それが事実になります。
空想の世界では、自分のなりたい姿を見ています。
リラックスして空想を楽しんでいる間は、自我の厳しい検問は緩みますから、その人が願う姿のままでいられる。
そして、その理想の自分というのは、現在の自分より、本来あるべき姿に近いはず。
なのに、空想が終わって現実に戻ると、また自分自身を厳しく評価してガッカリし、そのギャップに悩んでしまうのはなぜでしょう?
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はじめの一歩が運命の輪を作動させる
何かに挑戦しようとするとき、新しく始めたいと思うとき、はじめの一歩が一番難しいのは、そこで自分と向き合わなければならないからかもしれません。
長所だけでなく、自分の欠点に向き合うって、とても勇気がいることですよね。
ですが、勇気をもって最初の一歩を踏み出したなら、その瞬間に、新しい運命の輪がクルクルと回転し始めます。
はじめの一歩は、運命の輪を作動させる回路につながっているのです。
一度、新しい運命が動き始めたら、あとはその流れにピョンと飛び乗るだけ。
とりあえず、その運命に飛び乗って、どうしても無理なら、また下りればいい。
しっくりこないなら、また別の運命の輪を回してみる。
そこに失敗ということはなくて、ただ貴重な経験が残るのみ。
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たとえ、少しズレた運命の輪を回してしまっても、運命の輪というのは、回せば回しただけ、その振動が人生全体に響きわたります。
自分の運命を変えたいという強い思いを行動に移すことによって、人生をダイナミックに活性化してくれるのです。
もし、あなたが、いま何かに挑戦することをためらっているのなら、明日、ほんの1ミリだけ前進してみませんか。
自分の可能性を信じて、はじめの一歩を踏み出したなら、それは人生を豊かにしてくれる大きなステップになります。
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