ミヒャエル・エンデの『モモ』
1973年にドイツの作家ミヒャエル・エンデが書いた『モモ』。
40年以上前の古い物語ですが、今世紀に入ってから日本でも人気が出たお話なので、お読みになった方も多いかもしれませんね。
今日は久々に思い出したので、この物語に出てくる言葉をご紹介しようと思います。
けっこう有名なフレーズなのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、その時々で受け取る感覚が違ったりするかもしれません。
私も、なんとなく、そのような感じでした。
この物語は、円形劇場に住み着くようになった不思議な女の子モモが時間どろぼうの「灰色の男たち」から時間を取り戻そうとするお話です。
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ただ、つぎのことだけを考える
モモには二人の友達がいて、そのうちの一人が道路掃除人のベッポじいさんです。
無口なベッポじいさんは、道路の掃除をゆっくりと、でも着実にやります。ときどきと足をとめて、まえのほうをぼんやりながめ、もの思いにふけりながら、それからまたすすみます。
以下、文章の抜粋。
ベッポは、町がまだねむっている夜明けまえのこの時間がすきでした。それにじぶんの仕事が気に入っていて、ていねいにやりました。とてもだいじな仕事だと自覚していたのです。(中略)
「なあ、モモ」
「とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう」
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ」
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな…つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ」
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん」
「これがだいじなんだ」
ただつぎのことだけを考える。
するとたのしくなってくる。
これがだいじ。
たのしければ、うまくはかどる。
どうやってやりとげたかはわからない。
それがだいじ。
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時間とは、生きるということ
このファンタジー物語のテーマのひとつは『時間』です。
時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。
出典:ミヒャエル・エンデ『モモ』
時間がテーマになっていますが、時間そのものではなく心の在り方が人生(時間)を作っていると伝えたかったのでしょうか。
何をどれだけするかよりも、そこで何を感じ取ているかが大切で、心(時間)の積み重ねが人生になっていくのだと。
ここで、
時間の長さや意味が心の在り方によって変わるということに、もう一つだけ付け加えておきますね。
時間は、過去 ⇒ 現在 ⇒ 未来 へと直線的に並んでいると感じるかもしれません。
過去はもう終わったことであり、未来はまだ起こっていないことだと。
しかし、実際はそうではありません。
現在から未来を創造することもできまますが、現在から過去に影響を及ぼすこともできるのです。
3次元に住む私たちは、脳の仕組みによって特定の情報処理しかできませんが、時間というのは一直線ではないのです。
いずれにしても一番大切なのは「今、この瞬間」。
いつも、ただつぎのことだけをかんがえる。
それがだいじ、なんですね。
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